私の乳母車時代-1

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はるか昔、初めての子供が生まれる時に、デパートのディスプレイに使われていた乳母車を目にした時が、私の人生の変わり目でした。

 

赤ちゃん用品としてベビーカーしか頭に浮かばなかった私が、その乳母車を見た瞬間、

「これに赤ちゃんを寝せたい!」

「これを押して歩きたい!」

という妄想で頭がいっぱいになってしまったのです。

うちの住宅事情も、東京の道路事情も、だれも乳母車を使っていないということも、全部頭から消え去り、かわいい赤ちゃん、幸せな赤ちゃんの象徴のような乳母車に心を奪われてしまったのです。

デパートのディスプレイ品は販売していなかったので、まず乳母車屋さんを探すところから始まりました。

まだインターネットが一般に普及する前だったので、図書館で分厚い電話帳をめくり愛知県の乳母車屋さんを見つけました。

Googleがない!時代があったなんて今では想像できませんが、当時はごく当たり前に図書館に出かけて行ったのです。

そこで電話帳を検索、といっても自分で電話帳をめくるという手作業検索ですが、愛知県の電話帳の目次に「子供乗物」という目次を発見しました。

他県では見かけない目次に惹かれ探してみると、ありました!

「乳母車製造販売」が!

それも何件も!

はやる心を抑えてページをコピーし、この場合も重たい電話帳をコピー機の所まで持って行って手作業でコピーし、家に帰ってお店に電話したのです。

なぜわざわざ家に帰ってから電話したのか、って?

いやいや、その頃はスマホどころか単なる携帯さえなかったのですね。

 

何日かしてカタログが届きましたが、開いてみてびっくり。

当時のベビーカーといえば、今のように海外のベビーカーが入ってきていなかったので、大体高くても4万円から5万円ぐらいだったのが、乳母車は手作りで、最低でも5万円ぐらい。最高級品は35万円からでした。

その最高級乳母車は凝った籐の編み込み模様のもので、昔の中産階級のおっとりした時代を想像させるものでした。

乳母車って、乳母車というぐらいだから、乳母を雇えるような裕福な家庭のものだったのですね。

昔の乳母車

当然私たちは一番安い、いわゆる矢来のかごの乳母車にしました。鉄のスポークの重い車輪、ストーッパー無し、サスペンション無しの乳母車。

それでも私たちにとっては大金だったので、義姉にお願いして、お祝いとして買っていただいたのです。

 

 

さて、赤ちゃんが生まれて乳母車を手に入れてみたものの、約30年前の東京は乳母車の絶滅期。

誰一人乳母車を使う人が見当たらなかったので、とりあえず部屋の中でベビーベッドにすることにしました。

乳母車を家の中に入れてしまうなんて、どんなに大きな家なの!と思われるかもしれませんが、私たちは2DKの狭いマンションに住んでいてたので、ベビーベッドを置く代わりに乳母車を置こう、と単純に考えただけなのです。

 

子供が生まれる前は別に子供好きというわけでもなく、むしろうるさい存在なのだろうぐらいに思っていたのが、赤ちゃんが生まれ、こうして乳母車に寝かせてみると、私の中にインストールされていた何かが起動して、私も新たに「お母さん」として生まれ変わってしまいました!

文平3これが長男です。初めての赤ちゃんに有頂天になっていたころ。

30年ほど前のお話です。