2.次男の誕生記念に開発開始

乳母車生活が始まってから5年目に3番目の子が生まれました。長男より5歳下、長女とは3歳違いの男の子(次男)です。また乳母車の出番がやってきました。「5人家族になるとは思わなかったね。にぎやかになりそうだ。この子の誕生記念に何かしてあげたいね」。ある晩、3番目の赤ん坊を前に家内と話をしていてふと思いつきました。「そうだ!今までの経験を活かしてこの子のために特製の乳母車を作ってあげよう」と。

私は、子供の頃から発明好きな性分でした。いくつか小さな発明をしたことがあります(どれも実用化には至りませんでしたが)。発明好きがもとで当時は特許事務所に勤務していました。研究開発の現場に近い所にいましたし、何よりも5年間の育児ノウハウを活かせば「もっと使いやすい乳母車ができるのではないか」と思ったわけです。ほんの軽い気持ちでした。開発予算は思い切って50万円。

アイデア続出

アイデアは次々に出てきます。

  • レトロな雰囲気を守りつつモダンなデザインにする
  • 車に積みやすくするため、台車とバスケットをセパレート式にする
  • 故障しない構造にする
  • 車体を軽量化する
  • 車輪をインテリアとして通用するデザインにする
  • 幌を扱いやすくする
  • 操作しやすいストッパをつける
  • 赤ちゃんに不快な振動が伝わらない構造にする
  • ハンドルのデザインをスマートにする
  • グリップは天然素材にする
  • ざっと20種類ぐらいのアイデアを思いつきました。

私たちの使っていた乳母車は、昭和の初期ぐらいから技術革新がなされておらず、いろいろな意味でドン臭いものでした。それを普段の乳母車生活で「こうすればいい」と感じていたことで改良するのですからアイデアはいくらでも出てきます。イメージ通りのものを早く完成させたいと思いました。

バスケットを8回試作
まず最初に手をつけたのは主役となる籐(とう)バスケットの製作です。東京・多摩地区で見つけた籐職人さんに試作を依頼しました。赤ちゃんらしい可愛らしさと現代的なスマート感を兼ね備えたバスケットが目標です。手書きのスケッチと主要部の寸法図面を渡して、あとは口頭説明です。

「全体として流線形で、こういうふうに前の方がせり上がっていて・・・」というような調子です。丁寧に説明したつもりでも、こちらに製作の知識がないこともあって、なかなかイメージが伝わりません。2回作ってもらいましたが、漁師が使う魚籠(びく)みたいなものになってしまいます。赤ちゃんを入れるよりウナギを入れたほうがいい。申し訳ないけどセンスが悪い。「こりゃあダメだ」と別の職人さんを探すことにしました。最初の最初で躓きです。

乳母車を見つけた愛知県なら相談できる人がいるかもしれないと思い、関係ありそうな店に片っ端から電話して「誰か紹介して」と頼んでみました。無茶なやり方ですが後藤さんという女性職人を見つけることができました。

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ホテルで使う椅子やテーブルの製作をメインにしている人で、籐職人というよりはデザイナーです。失敗作の写真を見せて「今までにない乳母車を作りたい」と力説したところ「私も娘を乳母車で育てました。夢のあるお仕事になりそうですね。やってみましょう」と快諾してくれました。女性で、しかも乳母車の経験者ならいうことなし。この人なら細かいニュアンスも分かってもらえるに違いありません。

しかし、今回も思うように進みません。

宅急便で送ってもらった試作バスケットに検討を加え、修正図面を電話とFAXで伝えます。それをもとに2週間ほどかけて作り直してもらい、また宅急便で送ってもらうという作業を繰り返しました。現物を前にして話したい時は出張もしました。注文をつける方は簡単ですが、作る方はさぞかし大変だったでしょう。

結局、ダメ出しが6回。「横田さん、もうやめにしましょうよ」と言われる頃になって、ようやく思っていたような形が完成したのでした。ウナギの魚籠から数えて8個目です。当時、3次元プリンタがあればもっと早くできたのに!

台車に2つの課題

思っていたようなバスケットができ、やっと車体の設計に進めるようになりました。この時点ですでに予算オーバーですが、とにかく1台完成させなければやり出した意味がありません。

まず、車体の大きさを決めます。電車の改札を通れる幅(54cm)、歩道と車道の段差(3cm)をスムーズに乗り越えられる車輪の直径(30cm)などを考慮すると設計は比較的簡単に進みました。いわゆるA型ベビーカーと同じぐらいの寸法に落ち着きました。社会的制約のあるほうが数値を決めやすいです。

台車設計には2つの課題がありました。

  1. (バスケットと台車の)着脱機構
  2. 緩衝機構(サスペンション)

どちらも家内のひと言がヒントになりました。

着脱脱機構については、「主婦が使うんだから簡単に操作できるものじゃないとダメ。工具箱の蓋の開閉に使う部品、上の蓋にリングを引っ掛けて親指で下側へ引っ張って止める金具(=パチン錠)があるけど、あれはどう?」といわれて納得。確かにパチン錠は操作が簡単だし、古くからある製品なのでほとんど故障しません。使い勝手も良く、一発で採用。

いきなり描かれたバッテン

次は、サスペンション(緩衝装置)です。story05

乳母車は、19世紀のイギリスが発祥の地といわれています(発明したのはアメリカ人)。
産業革命が生まれた国とはいえ当時の工業技術は、現代日本の技術水準から見るとお粗末といわざる得ません。フレームは鉄と木を組み合わせたもの。緩衝装置に使う板バネや巻きバネも鉄製でかなりの重量物です。アルミやプラスチックのない時代ですから、ごつくて重いものになってしまうのは当然です。しかも、カゴが浅くて新生児にしか使えません。
この時代の乳母車が有名になってしまったおかげで「乳母車は大きくて重いもの」というイメージができ上がってしまったのでしょう。

緩衝装置というと、普通はバネ式が頭に浮かびます。私も最初は、バネ式を考えていました。しかし、バネ式は「ぼよよよーん」という感じの、なかなか減衰しないふわふわクッションになりがちです。また、フレームの四隅を巻きバネで支持する構造にすると、ベッドのようなありきたりのデザインになってしまいます。そこで、U字形に曲げたパイプでバスケットを支え、途中を板バネで衝撃吸収する台車を考えてみました。

デザイン画を家内に見せたところ、「・・・」。どうも気に入らないようです。

いきなりバスケットと車輪の空間にバッテンを引かれ「こんな形にならないの?」といいます。なんて乱暴な!人が苦労して考えた図面なのに!

「うーん、X脚か・・・」。

この形にすると脚パイプの交差部に荷重が集中するためアルミパイプは強度不足で使えず、ステンレスパイプ(加工が難)にする必要があります。また、今まで考えていたのとはまったく違う緩衝機構を考え出さねばならず、大変です。ただ、確かに、デザインはすっきりします。

「なるほど。かなり難しそうだが、あなたのいうことにも一理ある。では、デザイン優先でやってみるか」。こんな調子で、家内の大胆なアイデアが採用に至りました。もともと乳母車の第1発見者は家内であり、ご意見を尊重しなければならないという特殊事情もありますし・・・。

バッテンから生まれたサスペンション

こうしてⅩ脚を前提としてサスペンション(緩衝装置)を考えることになりました。story06

X脚の下側には4個の接地車輪があるわけですが、その反対側(上端)に小径車輪を2個・1対で配置します。こうすると下側は直径30cmの接地車輪を持つ「4輪車」、上側は直径3cmの小径車輪の「8輪車」になります。そして、上側の8個の小径車輪でフレームを支えれば、路面の衝撃は8個の小径車輪に分散されます。たとえば、台車の左側の前車輪が小石を踏んだ場合、左前の車輪は瞬間的に跳ね上がります。その衝撃の大半は、X脚の反対側にある2個の小径車輪に伝わります。小径車輪は2個ですから衝撃として伝わるの量は半分以下になります。

この時、Ⅹ脚はその交差部でもう1本のパイプとつながってstory07いますので、そこからも衝撃の一部が伝達されます。そして、2個の小径車輪に伝わります。

さらに、X脚に結合している車軸からも反対側のⅩ脚に衝撃の残り部分が伝わります。このように左前輪で発生した衝撃は、合計8か所の小径車輪に分散しながら伝わることになるわけです。これは自動車の4輪独立懸架機構(4つの車輪が独立に衝撃を吸収する機構)と似た動きをします。小径車輪を適度な減衰作用を持つゴム製にすればバネのような「ぼよよよーん」とした振動にはなりません。

こうして家内の引いた「バッテン」のおかげで意外なサスペンションが生まれたのでした(この機構は東京発明展’96で「奨励賞」を受賞しました)。

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