5.小渕総理大臣御用達

有楽町の国際フォーラムで開催された「ベンチャーフェア」に出展した日のこと、私は朝寝坊をしてしまい、開場時間に遅刻してしまいました。会場に入るとブースの前に集まっていた背広姿の数人が走り寄ってきます。「横田社長ですよね。あ、あの、今日、小渕総理がこの会場を訪問することになりました。で、東京乳母車のブースにお立ち寄りになります。あと15分後ぐらいです。いやー、ブースに誰もいないんであせりましたよ」。

総理の視察は急に決まった話らしく、どのブースを案内したらよいかと事務局も慌てたようです。「東京都優良商品で第1位の東京乳母車ならよかろう」ということになったらしい。まったく突然の話です。story15

「こりゃ大変だ。何をしゃべろうかな」と思う間もなく総理の一団がやってきました。総理の後にテレビカメラと照明係、同行の政治家、事務方などがぞろぞろついてきます。台本もリハーサルもなしのぶっつけ本番、普段通りに話すしかありません。

「この乳母車は、私の家の育児経験をもとにして開発したもので、育児の楽しさを感じてもらいたと思って作りました。自然素材である籐のバスケットと金色の車輪がアピールポイントです。厚生省の調査によると、最近の女性が子供を産みたがらないのは「育児に夢がないから」だといわれています。この製品を通じて、世の女性に「あの乳母車で子育てをしたい」と思ってもらいたいのです。赤ちゃんが1人生まれると、おむつや粉ミルクから始まっていろいろなものを消費しますから経済効果は大きく、景気対策にもなるのではないでしょうか」

などとお話ししました。ほんの2,3分です。総理から何を質問されたかは覚えていません。

小渕氏は、「平成」と大書した紙を掲げたソフトイメージの政治家と思っていましたが、最後に握手した時、スポーツマンのような握力だったのにちょっとびっくりしました。

数日後、「官邸までカタログを送ってほしい」という電話があり、1台をご注文頂きました。

子供の誕生祝いのつもりで始めたものがやがて製品になり、総理大臣と握手まですることになるとは・・。♪人生って不思議なものですね~

インターネットの登場

雑誌広告は、効果がはっきり出るというメリットがある反面、費用がかかります。また、「たくさん広告を出せば売れる」というものでもありません。何か良い手はないかと思っていたら、夢のような技術が出現しました。インターネットです。

ある日、車の運転中に「主婦がサークル活動のためにホームページを作りました」という話題がNHKラジオから流れてきました(信じられないでしょうが、当時は企業がホームページを作っただけで新聞記事になっていました)。「そうか、そんな簡単にできるものなのか」と思い、そのままヨドバシカメラへ直行しました。

購入したパソコンは、最新のOSであるウィンドウズ95を搭載。ハードディスク容量が1.2ギガバイトもあり、そのうち500MBをOSが占有しているという素晴らしいマシンです(笑)。しかもお値段はたったの46万円!

入門書でHTMLの書き方を学び、ダイヤルアップ接続でホームページをアップした時、わくわくしました。当時、「日本中にあるホームページの数は7,000ぐらい」といわれていた頃ですので早いほうだったといえます。

ホームページを作るのは楽しい作業でした。その後のIT技術の発展スピードにはついて行くのがやっとですが、あの時、乗り遅れないでよかったとつくづく思います。

改良は続く

製品の改良は今でも続けています。外観からでは分かりませんがたぶん100か所近く改良したはずです。

会社を作る前と後で決定的に違ったのは、ユーザーと「対話」しながら開発を進めるようになった点です。つかまり立ちフェンス、レインカバー、お昼寝カーテンなどのオプション品は、ほとんどすべてユーザーの要望で生まれました。実際に使っている人の意見に耳を傾けることで、独りよがりになるのを避けることができます。

たとえば、台車の下にセットする「荷物トレイ」はその一例です。 「台車の下側に荷物を置きたい」という声はずいぶん前からありました。そういう声には「荷物用ネットなどを付けるとデザインが損なわれます。荷物は赤ちゃんと一緒にバスケットの中に入れられますし、そのほうがスマートです」答えていました。しかし、ある時、双子育児のユーザーに「バスケットの中は2人の子供とその荷物でいっぱいです。せめて靴だけでも置けるようにしてほしい」といわれました。これはまったくおっしゃる通り。配慮が足りなかったと猛省しました。

ちょうどインドネシア工場に出張する時だったので現地で試作に着手しました。図面もなしですが、現場でやりとりしながら作るので圧倒的に早くできます。たった2日で出来上がった試作品を日本に持ち帰りました。そして、すぐにユーザーのご意見を聞き、それをもとに改良図面を工場にメール送信してスピード開発ができました。東京と愛知を往復してバスケットを開発していた頃と比べると何十倍も速くなりました。

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